こんにちは、相河佑季です。
『開運したい。』という記事で「腕時計と財布と靴をそろえようかなあ」と書いたのですが、最近ショッピングサイトのセールが多くて、ついつい見てしまっていました。
靴は今はいてるのがソール上の布が剥がれてきてしまっていてもうダメそうなので一足ポチりました。
見た目が大好きでそこそこ実用性のあるもの(2万円)と見た目はふつうだけど実用性は最強のもの(8000円)のどちらかで悩んでいたのですが、今回は後者にしてみました。実用性重視で。
腕時計は良いなあと思っているアナログ時計が4万円ぐらいであるのですが、そもそも電波ソーラーのG-SHOCKを持っているので実用品としてはそれで事足りる(むしろデジタル時計のが見やすい)し、人と会う仕事をしてるわけでもないから合わせるべきTPOもあまりありません。
機能性だけを考えたら結局G-SHOCK最強なわけで、今のもってるやつは丸型で見た目もだいぶ気に入っているから、もし新たに買う理由があるとすれば「ファッションアイテムとしてアナログ時計がほしい」ぐらいのものでしょう。あとは最近もろもろ値上がりが激しいので、値上がり前に確保したいぐらいでしょうか。
お財布も上を見たらキリがないのですが、2万円ぐらいの無難なブランドのレザー財布が使いやすい形で良いかなあなんて思っています。実は昨年に長財布をひとつ買ったのですがカード入れが固すぎて全然仕事してくれなくて、結局前に使っていたミニ財布を使っているので、新しく買い換えたいところではあります。
ミニ財布ってお札を折りたたまなきゃいけなくて、それがなんか気分的に苦手なんですよね。お札は真っ直ぐいれたい。曲がってほしくない。
前にアマゾンで買った3000円ぐらいの長財布がお札真っ直ぐ入れられてカードポケットもたくさんあって使いやすかったのですが、小銭入れ部分がだいぶ汚れたので使わなくなりました。
丈夫で使い勝手も良くて好きだったのでその長財布を復活させても良いけど、一度使わなくなった財布ではあるので、気分的には新しい財布を買いたいところ。この”気分的”ってなんかスピリチュアルでしょうか。
こんな感じで通販サイト見ながら「あれほしいなあ」「これいいなあ」なんてやってるんですけど、たぶん全部一番高いやつ買えば気持ち良くはなれるんですよね。(2週間ぐらいしか続かないだろうけど)
けれどもよくよく考えてみれば、ぶっちゃけ全部あんまり必要ないのです。
腕時計は人と会う機会が少ないし好きなデザインのG-SHOCK持ってるからぶっちゃけいらないし、TPO的に必要なら1000円ぐらいの安いのを使い切りで買えば良いだけです。
財布だって今のはまだまだ使えます。お札を折りたたむのが嫌なら前に使ってた長財布を復活させれば良いだけ。まだまだ全体的にきれいなのでもう一度使うことだって出来ます。
靴は一部破れてしまったから必要性から8000円ぐらいのポチったけど、似たようなスペックで5000円ぐらいの靴だってあります。靴は履き心地とかもあるから必要経費かなとは思うけど、そもそもあんまり外出しないのだから、多少履き心地の良くない5000円の靴でもさして問題ないわけです。
そう考えると『腕時計と靴と財布ほしさから見えるもの』って、やっぱり
・ただ欲しいだけ
・気持ちをしゃんとさせたい
・人から良く見られたい
このあたりが理由になるわけですが、欲しいのはただの欲求でいずれはしぼむだろうし、気持ちをしゃんとさせる効果は2週間もつづけば慣れて効果は薄れるだろうし、人から良く見られたいっていうのもそもそも人とあんまり会わないし、相手だって自分のことをそんな見ているわけではないです。
だから結論、どれも大して必要ないのです。必然的にTPOをわきまえなければならないシチュエーション以外は自己満足にだいぶ近い。実用性だけを求めればいろいろだいぶ安く済むのです。
でもまあ、確かに持っているアイテムでなにかが変わるということもなくはないです。
例えば靴と服は実用性とコスパ重視で腕時計はスマホで十分だからつけない人がいたとして、でも服だけはしゃんとしたものを着るとか。自分に合ったぴったりしたものを着て、なんとなく雰囲気が洗練されて見えて。
そういうものを着ていると、なんだか『自分を大事にしている感覚』『自分を愛している感覚』のようなものが湧いてきたりもします。背筋がのびた自分を生きるという感じです。
これが毎日ジャージを着て、外に行く時だけ外用のなんとなくな服を着るみたいな生活だったらどうでしょう。
たぶんだんだんとだらけてきます。気持ちがビシッとしません。気合が入りません。気合が入らないと行動にもゆるさが出てきて「まあこれでいいや」ってなります。だんだん人生がてきとーになります。
ぶっちゃけ今現在の僕がそれなのです。いろいろてきとー。だいぶゆるくなってしまった。
「マンガのキャラにいそう」「こういう役者いそう」と言われたことがちょくちょくあるのですが、たぶんそのころの自分はもういないのでしょう。いろいろだらけてしまって、かつてとは違う生き物になってしまった。
それはそれでひとつの物語のキャラクターになれそうな気はしますが、なんだろう、それにしたってなんだか突き抜け感があんまり足りてないのです。
「どうやって生きていこうかなあ」なんて日銭のことを気にしてちまちまお小遣いを稼いだりして、たまにだらだら遊びながら、なんとなく毎日を過ごしている。こんな未来になるとは思っていなかった。
きっともっと突き抜けて夢の実現を目指していたり、洗練された都会的な毎日を送っていたり、あるいはぶっ壊れて狂人のようになっている未来を望んでいたはずです。
今の自分が、そのどれにも属していないことがなんだか歯がゆい。
人間ってマクロ視点でみれば『宇宙を動かす装置』であって、生命はエントロピー増大に抵抗しているように見えるけれど、実際は増大に貢献するただの触媒的な何かのように思えます。
だからただ動いて、食べて、寝て、産まれてから死ぬまでを無機質に淡々と過ごすことこそ、自然と調和した生き方なんだろうなあと思うのです。宇宙と自己の統一って結局そういうことだと思います。
そう考えれば、きっと夢の実現も都会的な日常もぶっ壊れた狂人的生活も、宇宙からしたらノイズなのでしょう。
ノイズを取り込めば抵抗が生まれます。その抵抗に意味を見出すかは人それぞれだけれども、社会的には『たくさん抵抗している人』はなんだか面白かったりすごく見えたりするものです。
がんばって夢を実現しようとしている人とか、明らかに堕落しているのだけどなんか生き方が面白い人とか、そういう人って輝いて見えたりするものなのです。そしてそれが社会的に良しとされます。
人間も自然の動物で宇宙の本質と調和してしかるべきなのに、社会的には人生ノイズへの抵抗が輝いて見える。人って不思議ですね。
ここまで考えれば、きっと僕も無意識下では「人生ノイズに抵抗して、人から輝いて見られたい」なんて思っているのでしょう。その意味では僕も結局は社会的生物の本能からは逃れられていないのです。
その本能の表れとして、見栄えのする腕時計や靴や財布がほしいという欲求が出ているのだと思います。
でももし好きな人生ノイズを選べるのなら、僕が一番なりたいのは『明らかに堕落しているのだけどなんか生き方が面白い人』です。
がんばって筋道立てて夢の実現にフォーカスしている人とか、社会的に認められた洗練された毎日を送っている人もかっこよいなあと思うけれども、一番惹かれるのは『よくわからないけどなんか面白い人』だと思う。
ルールとか常識とか論理とかぶち壊して「絶対これだ!」「これ以外わからん!知らん!」って、日常も生活もぶち壊しながら何かひとつの生き方を貫いている人ってすごく大好き。そういうものにわたしはなりたい。
そのためには、こうやって論理だててブログ書いたり、毎日の稼ぎのことを考えたりとか、そんなのも辞めた方が良いのでしょう。でもできるのならば、ナチュラルサイコじゃないけれど『本人にとっては当たり前な生き方が外から見るとすごく変』みたいな感じになりたいですね。
意図的に狂人になるのではなくて、なんか自然体な狂人でいたい。
とりあえず、欲求に従うことから始めてみましょうか。
社会的な見栄のためとかじゃなくて、本当に心の底から「ほしい!」と思ったら後先考えずそれを買ってみたり、時間もシチュエーションも気にせず「お酒飲みたい!」と思ったらすぐさま飲んでみたりとか。
もしかしたら今よりももっともっと自分に正直に、素直に生きられるようになるかもしれません。
そんな自分を目指しながら、これから歩んでゆけたら良いなあと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
相河佑季でした。