相河佑季です。
昨日は本来『お酒を飲んではいけない日』だったのですが、精神不安定がものすごくて、ついお酒に手を出してしまいました。しかも飲みすぎてしまった……。
冷蔵庫にお酒がなければ意外と飲まないタイプなので冷蔵庫にあったのがいけないのですが、目の前に手軽な快楽があれば、人は自然と手を出してしまいます。お酒であっても、薬であっても。
そんな感じでダメダメな自分になっていて、そのダメダメな状態なまま、僕がすごく信頼している友人に通話をかけ話を聞いてもらい、なんとか一日をやり過ごした感じです。
その友人とはほんとにごくたまにしか連絡を取らないのですが、いつもピンポイントに良い答えをくれるのでものすごく信頼しています。昨日みたいな精神不安定な日にたまたまタイミングが合ったのが本当に幸運でした。
それでまあ、その方の助力もあって一応昨日という一日を乗り切ったわけですが、やっぱり思うわけです。
「対物相手に暴走していた方が良いのではないか」
と。
この間の記事で『パートナーをつくりたい話』というのを書いたのですが、やっぱり誰かに依存したり何かをぶつけるというのは、その相手に多大な迷惑をかけます。
その迷惑を受け入れる覚悟をもった関係性ならともかくとして、よっぽど強く結ばれた結婚とかでない限りは、基本的には対人相手の暴走は大いに迷惑なのです。
そして、僕は定期的に精神不安定になるし、暴走をしてしまいます。それならば、対人じゃなくて対物で迷惑をかけるぐらいで良いのではないかなーと思ったりもするのです。
例えば、ものすごく精神不安定になったらお酒やお薬でごまかしつつ、ほとんどの人が見ないであろうSNSやブログで「早く死にたい」とかつぶやきまくっておけば良いのです。
あるいは布団でも被って頭フワフワさせて、ダウナーな音楽でも聴きながら永久に閉じこもっておけば良いのです。
これで自己完結。救急車で運ばれない限りは、誰にも迷惑をかけません。
けれども僕は弱いもので、どうしても誰かに依存したり、話したくなったりしてしまうフシがあります。
時おり暴走して丸一日動き回ってしまったりして、それで誰かに迷惑をかけたりする。特定の誰かに依存して、常に通話をつなげておきたいような気持ちになってしまう。その通話で傷つくこともごくたまにあるのですけど。
本当に僕にとって『他人』って必要なのでしょうか?むしろさっさと死んだ方が世の中のためでは??
そんなことを感じながら、今日も暴走しつつ、でもその暴走をなるべく隠したりしながら、社会に擬態するように生きています。ああ、ほんとうに情けないなあ。自分自身がすごく情けないです。
もっと上手く生きられるはずなのに。
でもまあ、暴走がもたらす成果もあるというか、暴走がもたらす成果によって僕は生き延びてきた部分もあるのです。時たまの爆発的な暴走がなければ、今ごろ歌舞伎町でヤク中にでもなっていたことでしょう。
だから大切なのは、その暴走で『誰かに迷惑をかけないこと』なのです。そしてそのために必要なのは『誰とも深く関わらないこと』です。
シャットアウトしてしまえば良いのです。表面的な関係でいれば良いのです。そうすれば、相手に大きな迷惑をかけることだってないのですから。
ただそれだと依存先が足りないですから、もっと別な対物的な何かの依存先を増やしましょう。
1日ずっとブログを書いているとか、音楽を創っているとか、FXチャートを見続けているとか。それだけで24時間をいっぱいにしてしまうのです。誰かと関わっている時間なんて全くない人生をつくってしまうのです。
そうすれば、誰かに直接的な迷惑をかけることってないでしょう。たぶんそれが、双極症をもつ僕としての最も適切な生き方なのだと思います。
もし本当に強く結ばれた誰かとの運命的な出会いでもない限り、僕はそうやって生きてゆくのでしょう。そしてごく一部の誰かから観察されたりするのです。「なんか面白い生き物がいるぞ」って。動物園のように。
そうです。動物になりましょう。檻の中で観察されるのです。それが僕の目指す『生産性』であると思います。
『自分らしい生き方』
きっとそういうものなのですね。ありのままの自分でいられる世界って、きっとそういうものです。
世界をもっともっと理解して、もっともっとありのままの自分でいられますように。
最後までお読みいただきありがとうございます。
相河佑季でした。