お正月がなんだか苦手になってきた話

ただの日記

相河佑季です。

あと数日で2024年も終わりますね。

振り返りはまた別の記事ででも書くとして、なんだかここ最近は『ソワソワ』しています。

世間がだんだんお正月ムードになってきて、いつもと違う非日常感にあふれてゆく。

毎年イベント時期はいつもと違う感じがして楽しい気持ちになっていたのですが、なぜなんでしょう、今年はなんだかこのソワソワ感が嫌になってきています。早く日常モードに戻ってほしい。

こないだ書いた『睡眠障害vsASDグレーが生きづらさの根本原因な気がする話』という記事でも触れたのですが、僕はなんでもかんでもルーティン化して、同じ毎日を過ごすと落ち着く性格をしています。

だから非日常感に違和感を感じてソワソワしてしまうのはきっとそれが理由なんだろうなと思うのですが、逆にいえばなんで今まではイベント感をなんとなく楽しめていたのでしょうか?

そう考えてみると、たぶん今までは『日常=いやな日々』で、その嫌な日々を塗り替えてくれるイベントというものに対して、ワクワク感を持っていたのだと思います。

いやな日々の感覚を壊してくれるからイベントが好き。そんな感じだったんじゃないかなーって。

でもきっとここ最近は『日常=そこそこ安心する日々』に変わってきているのかも。自分らしく過ごせる毎日に環境が変化してきているのかもしれません。

だからそれが崩れるのが嫌で、崩してくる『非日常イベント』というものが苦手になってきたのかも。

お正月って非日常的イベントの中でも一番影響力の強いものです。

クリスマスとかハロウィンとか七夕とかお盆ぐらいだったら、まあなんとなくスルーしていればいつもどおりの毎日が待っています。外に出て「ふーんクリスマスなんだねー」ぐらいでなんとなく終わってゆきます。

でも年末年始だけは違う。否応なしに意識するものがどんどん目に入ってきてしまうし、シャットダウンが難しい。いろんなところで「今年もお世話になりました」とか「あけましておめでとう」が飛び交って、意識せざるを得ない状況が多い。

だからソワソワして、ちょっと苦手に感じつつあるのかもしれません。

かといって、人と付き合っている以上は完全に拒むことは出来ないし、一応合わせておいた方が無難です。気にしているフリをする、擬態をする。これってメンヘラの社会適応術なのかもしれません。

そんな社会適応術もやり過ぎると疲れてしまうので、その結果が今の僕の毎日なのかもしれませんが、年末年始ぐらいは最低限は適応できたらよいなあとは思います。

なんだろう、ありのままの自分に近づいていけばいくほど、社会的に少数派になってゆく自分を感じます。

生きやすさを形にしていけばいくほどに、社会から孤立して生きづらさも増していく。なんだか本当に矛盾した性格をしているし、適切なバランスに居続けるのが苦手なんだろうなと思っています。

0か100か、白か黒か。

昔と比べたらだいぶマシになって丸くなったと思うけれども、実は真逆で、ただ以前より生きやすい環境を整えられただけで、根っこの部分はより頑固になっているのかもしれませんね。

「もっと生きやすい性格に生まれたかったなあ」と思うのですが、今の性格だからこその自分らしさもあると思うので、こればっかりは仕方ないなあと思います。

なるべく生きやすい在り方を今後も構築しつづけていけたらなあと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

相河佑季でした。