こんにちは、相河佑季です。
先日『何もしない日はソワソワしてしまう』という記事を書きましたが、今日(月曜日)も何もしない日です。
何もしないと言っても、こまごまとした作業であったり家事であったりはしているのですが、今日一番よく考えていたのは「何にフォーカスしていこう」というテーマでした。
10月4日に書いた『人生どちらへ向かおうか』という記事でも今後のことを思案しているのですが、最近はこういう悩みというか思考がすごく多いです。
今のところ人生切羽詰まっているわけではないのですが、決して土台が安定しているわけではないですから、切羽詰まっていない今のうちに次の手を打ちたいという考えが働いているのだと思います。
それに加えて、現在は人生の転換期です。
僕は占いをやるのですが、ちょうどこれから2年間ぐらいがとても大切な時期で、もっと言うと2027年ぐらいまでは、今後に備えた勉強や準備をする時期にあたります。
おそらく2024年・2025年で大きな方向性が決まり動き出し、2026年・2027年でひたすらその勉強しつつ実践する。そして2028年からそれらが具体的に形になっていくということになるでしょう。
運気的には大きな成功はありませんがより安定の方向へ向かうことになると思います。今までの波乱万丈気味な生き方とはゆっくり決別をしていくものだと考えています。
そういった意味で言えば、今後3年半ぐらいは、僕の人生の集大成のようなものの土台を作り上げていく時期になるでしょう。
それじゃあ、一体どういう方向性で土台を作り上げていくべきなのか?そのことをずっと考えています。
例えば僕は今まで長い間、音楽を創るということに執着してきました。
もちろん経済的成功もしたかったけれども、一番ほしかったのは今やっていることと同じ。真理へ1歩でも近づくことだったり、精神的な傷を音楽によって消化し昇華することでした。
ですがここ最近、音楽への執着が急速に薄れています。
まだ心のどこかでくすぶっている感触はあるのですが、音楽ではない何かの方向へ、無意識に足取りが向かっている気がするのです。
過去の曲を聞くと「これは今後も続けなければならない」と思います。音楽をやめるという選択肢はない。音楽こそが僕そのものを表現してくれるという感覚を得ます。
けれども、現実面はだんだんと音楽から離れ、心理面も少しずつですがその距離を遠くしています。その事実はきっと、人生の転換期であるということを表しているのかなと思うのです。
「音楽への執着をやめる時だよ」
と、人生が言っている感じがします。もっとバランスよく、自らを犠牲にしないで、血を流して創作しつづけなくていいんだよと。安心して日々を過ごしていいんだよと言ってくれている気がするのです。
かといって、音楽以上に自己を真摯に表現できる方法を僕は知りません。
詩だって文章だって、ほんとうに自らの芯をとらえられているとは思えない。絵だってお喋りだって一緒です。どこか『ほんとの声』を表現できていない気がする。
正直に言えば、音楽だって完璧じゃないのです。それでも、音楽が一番近かった。だから僕は音楽に執着したし、音楽を愛していました。
だからきっと、それ以上の存在に出会わなければいけないのです。否、もしかしたらすでに出会っているのかもしれない。それ以上の存在となり得る地点まで到達させなければいけません。
「何にフォーカスしていこう」
それが最近の一番の悩みです。
何を学び、何を続けてゆけば良いのか。
僕は、相河佑季という名前に、すべてを捧げていこうと決めています。何もかもをこの名前に入れていこうと思っています。
じゃあ一体『なに』を入れるのか。詩なのか、文章なのか。音なのか、絵なのか?
具体的な形が見えてこないと、なにを入れるのか、なにを学ぶのかも決まってはきません。だから早くそれが見える地点まで到達したい。
きっとまだ数か月は悩むことになるのかもしれない。でも何かをやり続けていく中で、きっとピンとくるものが見えてくるものだと信じています。
フォーカスすべきものが見つかりますように。
最後までお読みいただきありがとうございます。
相河佑季でした。