このブログの存在意義

ただの日記

相河佑季です。

最近いろいろバタバタしていて、ちょっと久々の投稿になってしまいました。

僕は別名義でいくつかの活動を行っているのですが、もともとこのブログは『もっとも素の自分』をそのまま表現するために用意したブログでした。

詩を書いたりこうやって文章を書いたり、真理探求などについて考えたことなどを発表していったり……。

でもそもそも論として、何かと両立して活動できるほど僕にはエネルギーがないということが分かりました。

お仕事と音楽活動を両立していた頃もそうだったけど、正直相当無理をしていました。今現在も、このブログや詩の更新が滞っているように、2つの活動を並行できるほど器用でもなければそこまでの心身エネルギーもありません。

部屋にどんどんゴミがたまっていくように日常生活ですら上手く回っていないのに、なぜ両立できると思ってしまったのでしょうか??

いえ、おそらくなのですが、両立できると思ったわけじゃなくて『避難所』という意味合いの方が強かったのかもしれません。

このブログを作ったのは心身に相当なダメージが見え始めた頃だったと思うのですが、おそらく何かを吐き出したくて、でも吐き出す場所がないから作ったという側面が強かったかもしれないのです。

思えば、僕がなにかを創作する時はいつも『疲れている時』とか『悲しんでいる時』とか『怒っている時』です。激しいネガティブ感情が創作のエネルギーになっているのです。

そういった避難所としての場の必要性に疑問を感じるようになったのは、つまるところ、今現在は少し落ち着いてきたということなのでしょう。

でもここでこの避難所を潰してしまえば、またダメージを背負った時に、居場所をなくしてしまうことになりかねません。

本来であればインターネットの外側で居場所を作ることができるのならそれ以上のことはないのですが、残念ながらそれも現時点では叶いづらい希望のようです。

そういえば、インターネットがない生活を半年以上続けたことがありました。完全にというわけではありませんが、ネット回線の契約がなく、電話もほぼ使用しないような生活です。

その時は本当に作曲に集中できて、ものすごく創造的な時間だったような気がします。

今では発表の場としてのインターネットは必要不可欠になってしまいましたが、いずれはSNSも全部やめて、たまにこうやってブログで文章やボイスなどを垂れ流すだけの存在になりたいなあと思っています。

Youtubeとかもコメントや登録者数が気になってしまうから、ブログかどこかでボイスを出すだけで、視聴回数とかも表示されないプラットフォームでただひたすら垂れ流すだけ。きっとそれで僕は幸せなような気がします。

そのためには、もっとインターネット外の人生が充実していなければなりません。けれども僕はずっと家にいたい。24時間、家の中で完結していたい。矛盾していますね。

なんかほんのちょっとで良いから、もう少しネット外に居場所がほしいものです。そうしたらきっと、僕の心身はもっと楽になるというか、ゆるやかに生きることが出来るようになる気がします。

何かちょうどよい塩梅の居場所ってないかなあ。

最後までお読みいただきありがとうございます。

相河佑季でした。