開運したい。

日々の言葉

こんにちは、相河佑季です。

僕は開運についての話がまあまあ好きです。

「水回りはきれいにする」とか「良い財布をもつ」とか「体にぴったりした服を着る」とか……。

実際に行動するかはやる気次第なのですが、無性にそういう話に興味をもってしまう時があります。

最近も「人生しゃきっとさせたいなあ」と思っていて、なんかそのために「腕時計と財布と靴をそろえようかなあ」なんて思ってしまっています。

ただそれらが欲しいだけで開運は後づけの理由なんだろうなあと思う時もあるのですが、なにかそういうアイテムを身に着けたら自分がしゃきっとする気がして、ついつい通販サイトとかを見てしまいます。

たぶん『あこがれて』いるのでしょう。しゃんとした成功者のイメージ的なものに。

そういうあこがれって、たいていはどこかで植え付けられたものです。

僕の場合は会社勤めしていた時代にそれなりのお金持ちたちに会うことが多かったので、その時にイメージを植え付けられてしまったのだと思います。

看板がかかってなくて入り口に案内人がいるような謎の会員制ラウンジとかに連れていかれて、かっぷくの良いおじさんとか若手起業家とか美人なお姉さんとかに囲まれながらクライアントとお話する時間とか。

なんかそういうのってすごく見栄っぽいというか、つくられた偽物の夢っぽさがあるのですが、そんな虚栄心に満たされた時間もなんだかんだで心地良かったりするのです。

一度その味を覚えてしまうと「もう一度戻りたい」と思うのが人間で、僕も「真理に一歩でも近づきたい」とか言ってるけれど、きっと心のどこかでは「成功者になって見栄はりたい」なんて思ってる自分もいるのです。

その気持ちの表れが「腕時計と財布と靴をそろえようかなあ」で、開運したいという欲望なのだと思います。

水回りをきれいにしたり良いアイテムをそろえて本当に開運するかって分からないけれど、実際に気持ちはしゃんとして、日々目の前のことにちゃんと取り組むようにはなると思います。

身だしなみがしゃんとしていれば、偶然出会ったキーパーソンに気に入られて出世するかもしれないし、逆にだらーんとした服装だったら、キーパーソンからも素通りされるだけでしょう。

だからその意味では『しゃんとしてること』ってけっこう大切で、開運や成功と直接的にはつながっていないようで、わりと遠距離にはつながっているのだと思います。

かといってただの見栄や欲望で「腕時計と財布と靴をそろえようかなあ」では、数日そんな自分を楽しんだ後に気持ちもしぼんで元のしゃんとしてない自分に逆戻りであって。

そういう開運アイテムと呼ばれるものたちを手に入れたのちに『誰に会いにいくか』『どんな環境に身を置くか』こそが重要であって、開運アイテムはあくまで装備品でしかないのです。

装備はあくまで装備。どこに冒険に行くかが大事。

逆に言えば、最初に冒険に出かけてしまって、その後に必要に応じて装備品をそろえるぐらいの方が流れとしては良いかもしれません。

例えばビジネスに本気で取り組みたいのなら、最初にそういうオンラインサークルのようなものに入ってしまって、オフ会にいく時にちょっと身だしなみをしゃんとしていくとか。

まあしゃんとしたからといって本当に開運や成功につながるかは分からないけれど、間違いなくしゃんとしておいた方がお得ではあるので、その辺りはきちんとしておいた方が良いのだろうなあと思います。

その開運アイテムを手に入れることで『気持ちをしゃんとさせること』そして『しゃんとした気持ちを継続させること』が大切で、最も重要な継続させるために必要なのが環境であり、周囲の人々です。

だからキッカケとしては開運アイテムも良いのかもしれませんが、やっぱり重要なのは行動であり環境であり、常なる心持ちなんだろうなあと思いました。

僕が今「腕時計と財布と靴をそろえようかなあ」と思っているのも、一体どういうところから来ているのかをしっかり深掘りして、見定めた上でいろいろ動いてみようかなあと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

相河佑季でした。