相河佑季です。
この頃、とある方に依存しているなーと感じます。
強烈な依存ではないのですが「なるべく1~3日に1回は通話したい」と思うレベルです。原則的には自分の時間を大切にしたいタイプなので、これはすごく珍しいことだなと思います。
かといって、いわゆる好きとか恋愛感情が混ざるかと言われると、そういうのとも(現段階では)違うような気がします。
その方とはそこまで共通項もなく人間性も違うタイプではあるので、話しているうちにだんだんと話すことがなくなってきます。ずっと話していられる関係性ではありません。なのにどこかで、依存したい気持ちを抱いてしまう。なんだか不思議です。
「もっと依存先を増やしたほうが良い」
と言われたのですが、それは本当にごもっともです。
依存については『依存先がほしい気持ち』などこのブログでもなんどか触れているのですが、やっぱり何かや誰かに依存していないと、僕はなかなか自らの両脚で立てないタイプなのでしょう。
かといって対人関係の構築も大人数でのやり取りも苦手ですから、基本的には特定少数との繋がりの中から、依存先を見つけていくことになります。
ですがたいていは『誰かひとり』に依存することになって、でも相手側からしたら仮に恋愛関係であっても強い依存は迷惑になることもありますから、本当に対人的な依存というのは困難です。
そうなるとやっぱり対物的な依存、例えば『起きてから寝るまでずっと何かに没頭すること』をすることになります。それは創作など何らかの生産性のある行動の時もあれば、お酒やお薬のようなよろしくない行動の時もあるでしょう。
いずれにせよ、なにかに依存していないと僕は両脚で立てないのであって、生きることそれ自体に困難を感じてしまうのです。なんと面倒くさい性格をしているのか。
だから時折、すべてをシャットアウトしてリセットして、何もかもイチから始めたくなる気持ちも生まれます。
今までの関係性とか、積み上げてきたものとかって、自信にもつながりますがダメージを与えるものにもなり得ます。なので全部消しちゃって、やり直して、今まで周りにいた人も物もリセットしてやり直したい。最初から。
このリセット癖も昔はひどかったような気もするのですが、今ではさすがに思いとどまれることが多くなりました。けれども今後の人生でも、このリセット癖はずっとつきまとっていくのでしょう。
依存にしたってリセット癖にしたって、ほんとうに、ほんとうに面倒なものです。
生きづらいことこの上ないし、未来の計画なんて立てようがないし、周囲の人間に迷惑をかけてしまうのだから、やっぱりなるべく自主的に隔離された環境の中で生きていた方がたぶん世間のためには良いのです。
こういったことを表で誰かに吐き出したところで、誰も本質を解ってくれないし、誰も責任を背負えません。依存したところで何かが解決するわけでもないのです。よほど真剣に向き合ってくれない限りは。
「楽しく生きられる人は良いですね」
と僕は思います。皮肉的に。
本質的なことがあんまり気にならなくて、日常的な快楽とかゆるやかな人間関係で生死という差し迫った問いにフタををして、日々を楽しく生きられる人は本当に尊敬します。素晴らしいです。
一日一日を食べていくのは大変ですけれど、生きるのはきっと楽ですよね。ものすごくね。「生きやすくていいねえ」と感じてしまいます。
でも逆に言えば、きっと僕が「生きづらすぎる」のでしょう。
てきとうにビジネスでもして、てきとうに遊んでいれば人生は勝手に過ぎて死を迎えて「まあそこそこマシな人生だったかな」で終われるだろうに、それでは満足できない自分がいるのです。
だから、満足できる人がうらやましい。
それなのに、孤独を寂しがるのです。てきとうに生きている人を羨んで、どこか依存したくなって、自分がどうでも良いと思っている人にすらすがるような動き方をしてしまうのです。本当にばかみたいです。
きっと似たような人を探しているのでしょう。自分と似たような人を。
本質的なことにものすごく興味があって、それをずっと探究し続けて、お互いに問い合える相手を。だってそれが人生で一番の愉しみなのですから。
でも今までそんな相手に出会ったことなんて、一度もありません。せいぜい草木とか星空のような自然物との対話ぐらいのもので、人間でそういう相手に出会ったことが一度もない。だから「みんな真理とかどうでも良いんだろうな」とか思ってしまいます。誰もが『その日暮らし』です。
きっと、100%満足することってないのでしょう。
この世界に100%はありません。だから僕が求めている100%もどこにもない。どこにもないものをずっと探し求めているのだから、見つかるはずがないのです。結局は僕も『その日暮らし』をしながら、てきとうに人生をがんばって、てきとうに楽しんで、てきとうに人生を終わらせていくしかない。
そのことに深く絶望しながら、今日もまたてきとうに一日を過ごしていくのでしょう。
寂しいな。哀しいな。
最後までお読みいただきありがとうございます。
相河佑季でした。