こんにちは、相河佑季です。
僕はほとんどまともに働いていないフリーランスくずれなのですが、一応は多少の収入源があります。
一人暮らしで親族などからの支援もないので自分でなんとかしないといけないのは多くの人と同じなのですが、あんまり真面目に働いていない状況で、毎月収支が合って生活できているのは奇跡のようなものだと思っています。
けれども最近、ちょっと思い悩んでいることがあります。『多少の収入源』をもたらしてくれているうちの一部の居心地が、なんとなく良くないのです。
今日、noteで『真剣な人にあこがれて』という詩を書いたのですが、僕は何かひとつのことにすべてを捧げている人や、何かを達成しようと真剣に向き合っている人が大好きです。
ゴールを実現するためにマインドからしっかり組み立てていって、スキルアップにも熱心で、ひとつのことにすべてのリソースを注ぎ込んでいる人。
ともすれば『意識高い系』と揶揄されがちですが、そこに行動や信念が伴っている人であれば、一緒にいてすごく居心地がよいなあと思います。
僕はかつてIT系広告代理店にいたのですが、そこにいた人々はみんな『真剣な人』でした。
ベンチャーだったのもあってかビジネスのためにすべてを捧げていて、売上と利益を常に追い求め、自らをどんどん追い込んでいくマインドの高さ。そういう人たちに囲まれていたのは、ほんとうに良かったなあと思います。
一方で僕自身はビジネスとか資本主義的なものに対して少し斜に見るというか、身構えてしまうクセがあって。
みんなのマインドや真剣さは大好きだったけど、扱っているもの(ビジネス)はなんとなく自分と100%は合わないなあという感じでした。何か役割を演じている気持ちになるというか、資本主義の奴隷になった気分というか。
ただ今振り返ってみれば、扱っているものはともかくとして、ビジネス界隈って割と合ってたんだろうなって思います。みんなマインドが高いし、マーケティングっていう共通言語があったから、なんだか噛み合う人が多かった感じ。
それに比べて今はどうかというと、ちょっとピリッとしてないというか、ゆるくてだらだらしてる空気感の中にいるなあという感覚がしています。
そもそもパワハラを受けてメンタル疾患(双極症)になってしまって会社を辞めたわけなので、だらだらゆるゆるした環境で療養しつつ生き方を探るのは間違っていないのだけども、そういう環境が「なんだか居心地がよくないなあ」という気持ちになってきました。
周りの人々も「だらだら」とか「ゆるさ」とか「エンタメ」みたいなのを期待して集まってくることが多くて、それはそれでひとつの世界なのだけど、僕が本来もってるマインドではないんだろうなという感じがします。
たぶんメンタル界隈のXで「死にたい」とか「苦しい」とかつぶやいてみんなと繋がってた時期の方がよっぽど生きることに真剣で、より本質的だったような気がする。今ではそういった暗さからは抜け出る方向に動いているけれど、その世界にもまたひとつの真実味があったような気がします。
その点、今はちょっと真実味に欠けてしまっていて、そういう生き方がなんだか違うなあというか。
そう、ここまで書いて思ったのですが、たぶん「今の生き方は本来の自分らしくない」と無意識が教えてくれていて、それが『居心地のよくなさ』という体感として表れているのかもしれません。
僕が一番真剣に向き合っていたのはおそらく音楽活動で、肩に力が入りすぎて逆にだめなぐらいだったのですが、あの時はきっと100%の自分を出し切れていました。
そこまで出し切っちゃうとまた疲れてダウンしてしまうのは分かっているので、もうちょっとゆるめの世界の方が良いのだけれども、その意味では80%ぐらいの真剣さで向き合えるビジネス界隈はきっと合っているんだろうなあという体感はしています。
お金というのはただの紙切れで信用創造された交換アイテムですから、お金を稼ぐ=ビジネスに真剣になるってなんだかわずかに虚業というかウソくささもあるなあと正直思ってしまうのですが、そのわずかな虚業感がちょうどよい余白を提供してくれる気がしていて『何かをやっていたい欲』を満たしてくれる気がします。
本来は詩を書くとか芸術をするとか、より本質的なことだけに集中するのが一番良いのかなって思うのですが、それだけだと疲れちゃうので、余白のあるものを人生に取り入れておくのも良いのかもしれません。
とりあえず今言えるのは『そろそろ人生に負荷をかけるべきタイミング』ということで、ゆるさとかだらだら感がちょっと違う感じがしてきたので、どこでどう負荷をかけようかなあと考えているという話でした。
「人生に負荷をかけてみようかな」と思えるのは少しばかり精神的に回復してきた兆候かもしれないので、前向きにとらえて、何かしらの行動につなげていきたいなあと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
相河佑季でした。