深い絶望を誰と共有したら良いのだろうか。

日々の言葉

こんにちは、相河佑季です。

最近「人生にガタが来ている」と感じます。

将来の不安とか人生の諸問題のような具体的な話ではなくて、もっと根本的に、人生そのものがガタついている気がする。

深い絶望、虚無と言ったら良いでしょうか。底知れない、人にもうまく説明できない深いところで、自分を取り巻く世界そのものが物凄く虚ろなものに見えてしまっています。

そんな景色を見つづけていると、ありとあらゆることに対して疲労します。直接的に死にたいわけじゃないけれど「いろいろ、もういいかな」って感じるのです。

一体いつからこんな風になってしまったのでしょう。

創作や真理探究にもっと没頭したい話』という記事で書いたように、僕は『24時間、創作や真理探究に没頭できる生活』を目指しています。

この”真理”は絶対的な存在です。すべてが完璧な100%の生きている実感です。

しかし、この世に100%は存在しません。この世界には相対的存在しかないからです。

つまり、僕はこの世に存在しないものを求めています。絶対に手に入らないことが分かっていて、それでもほんの少しでもいいからそこに近づきたい。だから僕の夢は「詩と言葉で真理に1歩でも近づく」なのです。

心の底から求めていたものがこの世に存在しないと解った時、僕はとても深い絶望感に襲われました。ずっしりと重いヘドロに、心が奥底まで浸蝕されていくようでした。

そのヘドロは、じんわりと心の全体に浸透して、深い部分にどろりと溜まりながら僕の人生そのものを覗いています。絶望がずっとこちらを見ているのです。

心を少しでも楽にしたいのなら、抱えている悩みや不安は誰かと共有すべきです。

ですがこんな絶望感を、一体誰に、どのように伝えたら良いのでしょう。話す相手も伝え方も全く思いつかないし、とても誰かに分かってもらえるものではないような気がします。

だから「人生もういいや」なのです。なんだか疲れてしまいました。

生きている実感って一体どこにあるのでしょう。過去にそれを強く感じたことは2回だけありました。でもどちらも瞬間的で、持続しませんでした。ずっと続く生きている実感は一体どこにあるのでしょう。

使い古された表現ですが、深い霧の中を彷徨っているようです。目的地も歩いている道も見えなくて、あてどもなくただ歩いては疲れてを繰り返しているように思います。

どこに行ったら良いのか、何をしたら良いのか。どうしたら僕は満足を得られるのか。

全く分からないまま、今日もこの人生を彷徨い続けています。ああ、早く死ねたら良いのに。