何も生み出さない時間を愛そう。

日々の言葉

こんにちは、相河佑季です。

今日はいつもより早く、だいたい朝8時ぐらいに起きました。

僕はもともと過眠体質で「よく寝れたな」と感じるのがだいたい10時間睡眠、最大で31時間ほど寝たことがあります。

ですがここ最近はどうも睡眠リズムがおかしくて、人生どちらへ向かおうかという記事でも書いたように

3~4時間寝る(夢を見て熟睡はできていない)

4~5時間活動

といったリズムを繰り返しています。

今日も寝たのが夜中の3時ぐらい、起きたのが朝8時前といった具合で「もう一度眠るほどは眠くないけれど、なんだかだるいなあ」といった感じです。やっぱり10時間寝ないと体がしっかり休まらないのでしょう。

体がしっかり休まらないと、心に余裕がなくなってきます。

例えば今日は15時~16時ごろからお仕事的なものを始めようかなと思っているのですが、今これを書いているのがお昼の12時半。まだ3時間ほど時間があります。

お腹も空いていないし手持無沙汰で「何かを生み出していない時間ってむだだな」「自分は怠けているな」と思ってしまいます。なんだか不安というか、ソワソワしてしまうのです。

でも、こういった『何も生み出さない時間』って、本来はとても貴重でありがたい時間だと思います。

だって何も生み出さなくても良い時間が与えられているってことだし、生きるためにせっせと動いたり、何かを学ぶために頑張らなくても良いよって天から言われているようなものです。

だからこういう時間は、本来愛するべき時間なのです。

けれども、そういった時間を愉しむことができない、寝不足で心の余裕がない自分がいます。これはメンタル的にもあんまりよろしくないなあと思います。

僕はもともとIT系広告代理店に勤めていたのですが、ベンチャーだけあってか『生産性第一の結果主義』でした。

とにかく生産性を出していることが正義で、売上第一主義でもありました。

例えば1日12時間働いて月商300万円出す人より、1日6時間働いて月商3000万円出す人のがずっとえらい。がんばってそこそこ稼ぐ人よりも、がんばらなくても圧倒的に稼ぐ人の方がずっとえらいです。

(まあ後者の人も「6時間で月商3000万円なんだから12時間働いて月商6000万円出せ」ってなるのですが。さすがブラックです。)

そんな会社でビジネスマインドを叩き込まれたものですから、僕も必然的に『時間あたりの生産性』を追い求めるようになってしまいました。なにか生産していないと落ち着かない。生み出していないと落ち着かない。常に行動していないとなんだか落ち着かないし、心が焦ってしまうのです。

ただここ最近は、ちょっとそうした傾向も変わってきています。

お友達でよく通話やゲームに誘ってくれる子がいるのですが、なんともない話をだらだらしゃべったり、ただただゲームをしている時間がなんだか楽しいです。

以前の自分なら「何も生み出さない時間だなあ」「むだな時間だなあ」なんて思っていたでしょう。というか今でもちょっとそんなことを感じている自分もいます。

でもそういった時間を過ごしながら、自らの心の深い部分がちょっとだけ癒されているのを感じるのです。

数時間の通話やゲームが終わった後、なんだか心の中がすっきりしている。謎の満足感で満たされている。遊んで楽しかったなーって、心の深い部分で感じています。

だから、そうやって通話やゲームに誘ってくれるお友達にはものすごく感謝しています。

やっぱり『何も生み出さない時間』を愛でることってとっても大事なのです。

正確には何も生み出していないのではなくて、目に見える何かを生み出していないだけで、目に見えない何かは生み出しているのでしょう。もしくは心のマイナスを埋めてくれる何かを創出してくれているのでしょう。

目に見えるものだけで判断しないことです。

人間は何かを期待します。「これをしたらこれが返ってくるだろう」って。

けれども、期待の外側から何かがやってくることもあります。いざやってみたら、意外な感動や癒しが待っていることもあるのです。

仮にその時は何もやってこなくても、その次には何かがやってくるかもしれません。その何かは、以前に何もやってこない時を過ごしたからこそやってきた何かかもしれないのです。

目先の時間軸の対価にとらわれずに、悠然と向き合い、悠然と待つことが必要だと思います。

泰然自若という言葉があるように、実際には待つことも必要なくて、ただそこに在るだけで、自然と物事が向こうからやってくるのかもしれません。

僕ももっとゆるく過ごして、一見何も生み出さないと見える時間を愛でながら、泰然自若と過ごせたら良いなあと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

相河佑季でした。