こんにちは、相河佑季です。
僕はnoteで詩を書いています。
確か中高生ぐらいの時から詩を書き始めていて、途中それは歌や音楽になったりしましたが、現在進行形で進んでいる創作はこの詩のみです。
歌ったり音に浸っている時間が大好きですから「ほんとうは音楽をつくりたいなあ」なんて考えている時もあるのですが、いろんな事情で今は詩にフォーカスを合わせています。
「なぜ創作するのか」と言われたら、それは1歩でも真理というものに近づきたいからです。
僕にとって真理=生きている実感ですから、なるべく近づいて体感したい。
もちろん、真理に到達できるとは思っていません。この世に完全性はないのですから。
しかし、100m走で「世界記録9秒58を抜く」を目標にする選手と「人間の限界を突破して100mを9秒、8秒、7秒と1ミリ秒でも早く走り切る」を目標にする選手とでは、後者の方が可能性があります。ゴールをより遠くに置いているからです。
同じように『完全性のあるもの=真理はこの世に存在しない』のだとしても「だから目指さない」ではなく「1歩でも完全性に近づこう」と考えている方が、より遠くへと到達できると僕は考えています。
その意味では、僕は真理に到達できると考えているし、いかにそれを信じられるかが重要です。
では、信じ切るためには何をすれば良いでしょうか。
それが『没頭する』ということです。
ラーマクリシュナという近代インドの聖人がいます。
諸説あるでしょうが、基本的に彼が言っていることはただひとつ「神を熱愛しなさい」です。神の実在をとことん信じ愛し切れば、すべては満たされます。神に没頭しなさいということです。
同じことは、ありとあらゆる『心からやりたいこと』にも言えるでしょう。
例えばあなたが芸術的な詩人を目指していたとして、自らの芸術面で最高の詩を書けたとしても、それが必ずしも売れるとは限りません。むしろ売れないことの方が多いでしょう。
しかしもし売れることを目指してしまえば、耳ざわりの良い、癒しと幸せにあふれた詩を書きつづけることになります。おしゃれなカフェに貼ってありそうな詩の方が売れるし、需要があるのですから。
ですが、あなたはそれで良いのでしょうか。
あなたが本当に求めているのは『自らの芸術において最高の詩』であって『売れる詩』ではないのではないですか。そう、別の目標がまざると、創出されるものは濁ってしまうのです。
あなたの『心からやりたいこと』に没頭することが大切です。毎日何時間もそれと向き合って、自らと対話し生み出し続けるのです。
作家であるジュリア・キャメロンの著書『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』では、こう書かれています。
「大いなる創造主よ、私が量の面倒をみますから、あなたは質の面倒をみてください」
一心不乱に没頭し量を積み重ねつづければ、きっと道は拓けます。
その道はきっと、あなたが本当に追い求めていた実在であり、真の生きている実感を与えてくれるものなのです。
最後までお読み頂きありがとうございます。
相河佑季でした。