人生のバランスに関するいろいろな整理

ただの日記

相河佑季です。

最近いろいろバタバタしていて、1ヶ月ぐらいブログが空いてしまいました。詩も書いてないので、そろそろ再開していきたいところです。

『何をバタバタしていたか』というと、主に配信活動が挙げられます。

僕は別名義で配信活動をしているのですが、ちょっとそちらに時間を割きすぎてしまったり、人間関係でトラブルが起こってそれの対処に追われていました。

本当にただおしゃべりがしたくて配信を始めたのですが、それなりに長くやっているといくつか「面倒くさいな」と感じることも増えてきて、とんでもない人に出会ったりもして、楽しいけどだるい時もあるなーという感じです。

なんでしょう、僕はもともとビジネス界隈にいて、人間関係は『お金と契約』でほぼ完全に割り切られていたので、あまり面倒くさいってことなかったんですよね。面倒くさければ契約が切れるだけだから。

でも配信はよりエンタメ性・趣味性の高い世界ですからいろんな方がいて、それは配信者もリスナーさんも同じで、本当に各々のポジショニングでコミュニケーションを取りますから、どうしてもズレが起こります。

僕は比較的には『自分のやりたいこと』に『ビジネス的なドライな感覚』や『目標やゴールを追いかける熱意』をミックスしてやっている側面が強いと思うのですが、裏で遊ぶ友達がほしいだけとか、配信者さんと個人的に繋がりたいリスナーさんとか……。

まあ契約や法律で縛られている事柄ではないので仕方がないのかもしれませんが、逆に言えばこれがふつうの世界で、ふつうの人間関係なのかもしれません。ビジネス界隈や会社みたいに、ひとつのゴールが共有されているわけではないですから。

それでまあ、そんなこんなでいろいろバタバタしていたわけですが、そんな中で『日々の人生のバランス』を意識するようになってきました。

最近の僕の生活といえば、

・起きる→ごはん
・配信する
・ごはん
・配信する
・プチ休憩
・配信する
・寝る

こんな感じの生活パターンで、本当に時間がありませんでした。

きっと他にもやりたいことはたくさんあって、例えば

・ブログを書く
・詩を書く
・音楽をつくる
・ゆっくりお風呂に入る
・お部屋のお掃除をする
・たまにはどこかに出かける

とかやりたい気持ちはあるのですが、配信は起きてパソコンに座ったらすぐできてしまいますし、配信が始まれば時間が経つのがすごく早いので、人生のスキップ機能的な意味合いでもすごく優れているなーって思います。

そう、『人生のスキップ機能』という単語を使いましたが、なんか根本的に『早く死にたい』という虚無感を持っているので、なにかしらに没頭して時間感覚を失いたいんですよね。

なにかに没頭している間は時間を忘れられますし、ドーパミンという快楽も得られますから非常に楽です。1日があっという間に過ぎていく感覚は、すこしわびしいけれど、それはそれで充実したものです。

でも僕が心の底から目指しているゴールって、今の人生のバランスでは絶対に得られないんです。

例えば、

・真理探求をする
・すばらしい作品をつくる
・現代アーティストとして認められる

など、昔から執着しているゴールを考えた時に、どう考えても今の時間配分ではダメなのです。

配信は楽しいけれどそれだけではダメで、ゴールに到達するための『習慣』を作らなければならない。そのためには『時間』が必要で、きっちりスケジュールを組んで毎日2時間でも良いから取り組む必要があります。

僕は自分にとって完璧なスケジュールを作って全く同じ毎日を繰り返すのが大好きなのですが、今は配信でほぼすべてが埋まっていて、どこにも余白がありません。

それはそれで配信者として完成されている気はするのですが、やっぱり元々持っていたゴールも追い求めたいし、なんならもうちょっと収入を安定させるためにビジネスの安定をさせるための時間もほしいです。

配信者としての名義と、相河佑季としての活動。

この2つで人生を埋めたいなと今は思っていて、そのためにはやっぱり人生のリバランスが必要なんじゃないかなーと考えたりしています。

もし今配信をやっている時間の一部を元々持っていたゴールのために割り振るのだとしたら、僕は何をするでしょう?

それはたぶん、

・noteで詩を書く
・このブログを書く
・パソコンでDTMをする(音楽制作)
・なんらかのビジネスを行う

この辺りだと思います。でもぶっちゃけビジネスは優先度は低いかな。それ以外の3つで安定収入が得られるなら、わざわざやる必要のないことですから。あまりお金稼ぎに興味はないし。

そう考えると、きっと『詩・ブログ・DTM』を行う時間をスケジュールに組み込めば、僕の悩みは解決するのでしょう。

たぶん詩を書くのに15分、ブログを書くのに30分。DTMを毎日2時間ちょっと。合計3時間ぐらい余白を作り出すことができるのなら、それなりに満足するんじゃないかなーと思います。あとは配信で全部埋めちゃって。

こうやって書いてみるとなんだろう、僕って常に『目に見える生産性』のようなものを追いかけている気がします。

例えば親友や恋人と過ごす時間って、直接的な『生産性』はないじゃないですか。

癒やされたりマイナスを埋め合ったり、なんらかのポジティブな感情は生まれるかもしれないけれど、別にそれらを目的とした手段ではありません。親友や恋人は手段ではなくて、過ごす時間そのものに意味があります。

強引に言えば『目に見えない生産性』と言い換えられるのかもしれないけれど、お金とか制作物みたいに目に見えるものとは違って、無意識的になんらかの効果があったりするものです。

でもどうも僕はその辺りの優先度が低いみたいで、ゴールとか目標とか、どうしてもそれらを追いかけてしまいます。そういったものに人生のすべての時間を使いたいと思ってしまう。

ぶっちゃけ、やっぱり疲れたりはします。毎日走り続けているようなものなので、たまにバタッと倒れてしばらく動かなくなる時期だって訪れます。双極症と診断されて数年ベッドに張り付いていた時期のように。

けれどもやっぱりそういう生き方しか出来ないし、たぶん脳がそういう構造をしているのでしょう。

僕は小さいころ癇癪持ちでものすごい負けず嫌いだったのですが、社会にある程度は適応できるようになった今でも、たまに意地っ張りな側面が出てきてしまいます。

例えば「もう二度と働くもんか(死ぬまで雇用は絶対されないぞ)」と僕は思っているのですが、そういう変なところで意地っ張りだし、なんでもかんでもオリジナルに自分なりの方法を創り出そうとしてしまいます。

一度本気で走り始めると疲れて倒れるまで止まらないし、そういう生き方がなんだか心地良いのです。

だから今は配信ばかりしているし、なんなら詩や音楽やDTMだって、なにか一本に絞ってそれだけをやっていたい。

朝起きてパソコンに張り付いて、12時間ずっと詩やブログを書き続ける人生だって良いのです。むしろ、もし配信というものに出会ってなかったら、今ごろそういう人生をやっていたでしょう。

生活スタイル的にも性格的にも、作家的な生き方がきっと一番合っているのだと思います。

そこまで考えると、なんか「僕にとって音楽ってなんだろうなあ」って思います。

詩やブログなどの文章は僕を癒やしてくれますが、音楽のほうがより自分自身の根っこ(芯)の部分に近いような感じがするのです。曲を作って歌って叫んでいたほうがなんだか居心地が良いし。

けれどもライブとか、外で音楽活動をするのはもうちょっと疲れてしまった側面もあるし、やっぱり家の中で完結できることをやっていたい。

別にDTMで音楽を作ってそれをYoutubeにアップするだけで十分音楽活動をしていると言えるのですけれども、DTMのあれこれを勉強するのが面倒くさいです。

DTMって僕はiPadのものしか触ったことしかないのですが、iPadの良いところは、ベッドの上でゴロゴロしながら曲を作れることなんですよね。(ちなみにこのブログもベッドの上でノートPCで書いています)

これがパソコンのDTMになると、ちゃんと椅子に座ってパソコンと向き合って「よし作るぞ」ってやらなきゃいけない。MIDIキーボードとか鍵盤もたたかなきゃいけない。

でも僕にとって音楽って身体的表現と結びついたものだと感じているので、なんだかホワイトワーカーみたいにずっとパソコンとにらめっこしながら作る音楽って「プロセスが音楽的じゃないなー」と思ったりするのです。

ただたぶんこれは僕側の音楽に対する認識がズレていて、プロセスも重要な現代アート的な見方を音楽に対してもしてしまっているからだと思います。この辺もなんだかヘソ曲がりですね。

そんなヘソ曲がりな自分でも受け入れるキャパがあったのがiPadでの音楽制作で、だから僕はiPadでの音楽制作がなんだか好きだし、Macbookとか買ってDTMをやることになんだかちょっと躊躇してしまっています。

けれども僕がiPadで作っていた音楽はおそらく世間的に見れば意味不明なものも多くて「いろんな人の要望を叶えたいなー」って思った時に、やっぱりパソコンとにらめっこは避けて通れない道なのかなーと思ったりもします。

もとの話に戻るけれども、もし『詩・ブログ・DTM』を人生に取り入れるのだとしたら、DTM部分を何で補うのかはちょっと一度しっかり考えたほうが良いですね。

『今までのやり方』ならiPadでも良いけれども、それでは何も進展しない。それならパソコンを買って新しい道に踏み出したほうが、きっと数年後には「あの時スタートして良かったな」って思える自分に出会えると思います。

この辺については、あともうちょっと考えていようかな。なるべく年内に決めたいとは思います。

あとは、相河佑季でもYoutubeをやるかはちょこっとだけ悩んでいますね。

今は別名義で配信しているし、音楽もそこで発信するつもりですが、相河佑季なりのよく分からない音楽とか詰め込んだYoutubeチャンネルがあっても面白いのかななんて思ったりもして。

それについても引き続き考えていけたらいいなーと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

相河佑季でした。